母のことを書こう、と思う

私と母

8月1日、高松・五剣山にある八栗寺。そのお寺は、真言宗のお寺でした。ちなみに、私の家の宗派は真言宗。毎朝、毎晩、母と父の仏壇に真言宗の読経をしてくれた祖母のことを、昨日のことのようにあざやかに思い出しました。

そして、本当に偶然なのですが、8月1日は母の命日。もう、母のことを知ってくれている人は、この世に少ないのかもしれません。「母の生きた証」というと大げさですけど、母の記憶を書いてみたい、と思います。

母の亡くなった年

お通夜

母が亡くなったのは、平成5年(1993年)8月1日。もう、29年も前。私が8月12日で18歳になる11日前のことです。享年50歳。

約10年前(1982〜1983年ごろ)に発症した乳がん。医師からすでに末期がんとのことで、余命半年と宣告されたそうです。それからなんと10年。幼い私たち兄弟を育てながら、闘病生活を送り、とうとう力つきました。

亡くなる1ヶ月前か、ちょっと覚えてませんが、最後はホスピスに入っていました。

詳しくは知りませんが、今で言う「緩和ケア」に焦点を当てていたと思うので、直前のあたりは苦痛をあまり感じてなかったのではないか、と思います。

それでも、闘病中の10年間は、抗がん剤とか苦痛に苛まれた時期もあったか、と思います。「思います」と表現したのは、私たち兄弟の前ではあまり弱音を吐かなかったからです。

芯が強く、やさしい母でした。

母が亡くなった約1週間後と記憶していますが、私の大検(大学入学資格検定試験)があって、無事に合格しました。

母の思い出

母と私

母は、芸術が好きで、自分でも油絵を描いていました。

ファッションも好きで、数え切れないくらいの服を所有していました。ちょっと中性的な感じの服装を好んでいたように覚えています。

自身が末期がんを宣告され、その約1年後くらいに父が自殺(これについては、おいおいまた書こうと思います)。その後、母は再入院を余儀なくされたので、私たち兄弟は、父方の実家に預けられました。そこで半年程度暮らしたのか、記憶が定かではないですが、和泉市内の児童養護施設に預けられることになりました。

児童養護施設の生活は、相当苦しかったのを覚えています。狭い部屋の中で、互いに知らない子供たちが4〜5人共同生活を送るのですが、子供同士でのケンカを強要されたり、年長者からの性的虐待があったりして、地獄のようなものでした。

地獄のような施設生活が1年過ぎた頃、奇跡的に容体が安定した母親が、私たち兄弟を迎えにきてくれた時は、とても救われたような気持ちがしたのを、今でも昨日のように覚えています。

それから10年。私の反抗期や登校拒否などで母に迷惑をかけたことは、今でも悔やみきれない思いがあります。

それでも、母と過ごした18年は、かけがえのない財産ですし、私の根幹を成しているものだと思います。

あとがき

ふとしたきっかけで、書こうと思い至った「母のこと」。

私にとって、母の病気や死にまつわることを思い出すのは、トラウマ。

結構書いたり、思い出すことさえ、苦しかったですが、書いてみてよかった、とは思います。

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